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【序章】パリ到着! 【1章】パリの美術館めぐり 【2章】16区の街並み散策 〜アール・ヌーヴォーとの出会い〜 【3章】モンマルトル音楽散策 【4章】バスティーユ〜ヴィレット地区へ 【5章】なつかしい場所です 【6章】こんなもの食べました。美味しい〜 【7章】番外編 モンパルナス墓地 【8章】お世話になりました
 モンマルトルの丘からの眺めは最高です。パリを一望出来ます。ルノワール、ユトリロ、ロートレック等画家たちが愛した街ですが、サティーやベルリオーズといった音楽家も住んでいました。近年では映画「アメリ」の中でモンマルトルが舞台になっていて美しい映像を見ることも出来ます。

 出発はメトロ ピガール駅から歩きはじめます。駅前の広い通りブールヴァール・ド・クリシー10番地のアパルトマンにはダルュス・ミヨーが住んでいました。ここでバレエ「世界創造」をはじめ多くの作品が生まれています。
ダリュス・ミヨーの住んでいたアパルトマン
同左
 坂道と階段をひたすら登りつめると(ケーブルもあります)、サクレクール寺院がそびえ立つモンマルトルの丘に到着。息が切れました、、
 サクレクール寺院左手を進むとテルトル広場があります。無名の画家たちが絵を売ったりポートレートを書いたりしています。この広場から少し北に進むとひっそりした住宅街が広がります。このあたりの雰囲気は昔からとても好きでした。
 リュ・コルトー6番地にはエリック・サティーが1890〜1899年の間住んでいたアパルトマンがあります。そしてとても眺めのいい北側の階段を降り、リュ・サン・ヴァンサンを進むと右手にラパン・アジル(ピカソやユトリロが通ったシャンソニエ)と左手にはぶどう畑が広がります。モンマルトル産のワイン(18区区役所の酒倉で製造)が作られているそうですが、数が少ないため幻のワインだとか、、!?

モンマルトルの丘から
サクレクール寺院
(緑の騎馬像は聖ルイ王とジャンヌ・ダルク)
テルトル広場
エリック・サティーの住んでいたアパルトマン
モンマルトル北側斜面
ラパン・アジル
 ぶとう畑横の道からリュ・ノルヴァン通りを歩いて行くとマルセル・メイエ作「壁抜け男」のモニュメントが見れます。 思わず記念写真!ラリューに似てませんか?
 壁抜け男から少し下るとラデの風車があります。ここはパリ最古の映画館です。ラデの風車は現在ムーラン・ド・ラ・ギャレットというレストランになっていて映画館は後ろにひっそりと建っています。(シネマ・ムーラン・ド・ラ・ギャレット) このリュ・ルピック通りを下って54番地、画家ゴッホが2年間住んでいたアパルトマンを通りすぎブランシュ駅に向かいます。途中には映画「アメリ」のアメリが働いていたカフェ Les deux Moulins がありました。映画ほどきれくなかったのですが人は一杯入っていましたねぇ。

ぶどう畑
壁抜け男
ラデの風車
映画「アメリ」のカフェ
Les deux Moulins
 ブランシュ駅前に到着。ここにはあの有名なムーラン・ルージュがあります。ブランシュ駅をもう少し南に進むとスカール・ベルリオーズ(プラス・アドルフ・マックス)という広場に出ます。ここにはベルリオーズの立像がありますが、小さな公園には子供達の砂場もあり、何事もなく幼稚園の子供達がはしゃいで遊んでいました。この近くのブランシュ通り4番地にはベルオーズが晩年亡くなるまで住んでいたアパルトマンがあります。
 最後はもう少し東に進みリュ・ド・ドゥエ22番地へ。1869年から1875年死ぬまでビゼーが住んでいた大きなアパルトマンを見ました。この館にはカルメンなどの台本作家リュドヴィック・アレヴィも住んでいたそうです。きれいなアパルトマンでした。

ベルリオーズの立像
ベルリオーズの亡くなったアパルトマン
ビゼーが住んでいたアパルトマン
【序章】パリ到着! 【1章】パリの美術館めぐり 【2章】16区の街並み散策 〜アール・ヌーヴォーとの出会い〜 【3章】モンマルトル音楽散策 【4章】バスティーユ〜ヴィレット地区へ 【5章】なつかしい場所です 【6章】こんなもの食べました。美味しい〜 【7章】番外編 モンパルナス墓地 【8章】お世話になりました
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